大津市堅田(歴史)概要: 堅田は古くから琵琶湖舟運の盛んな地域で、その利権にを巡り何度も争いが起っています。中世に入ると一時、地侍と民衆からなる惣組織が形成され、権力者からの支配から脱却し、琵琶湖周辺にある舟運の拠点に大きな影響力を持ちました。室町時代に入ると比叡山延暦寺と対立した蓮如が堅田に逃れると、多くの民衆がこれに賛同し「堅田門徒」と呼ばれる強固な宗教集団が生まれました。しかし、延暦寺と堅田門徒との間に対立が深まり応永2年(1468)に堅田大責が行われ、殆んどの町並みや集落、関係寺院が焼き討ちにあいます。
応永4年(1470)、延暦寺と坂本との抗争が起き、坂本が勝利、堅田の再興が許され堅田門徒も復活しましたが後年になり本願寺と対立したことで次第に衰微します。その後、織田信長の近江侵攻により形式的には従属するものの舟運の特権は保護され経済的繁栄は江戸時代を通して維持されました。元禄11年(1698)、堀田正高が1万石で入封し堅田藩を立藩、文政9年(1826)に加増され下野佐野藩に陣屋を移すまで堀田家が藩主を歴任しています。
|