守山市(歴史)概要: 守山市には服部遺跡(縄文時代晩期〜鎌倉時代)や伊勢遺跡(縄文時代晩期〜鎌倉時代)、下之郷遺跡(弥生時代、滋賀県最大の環濠集落、国指定史跡)などの遺跡が点在し古くから開けてた事が窺えます。白鳳時代に入ると中央の文化が流入し、益須寺が創建され、当時の様子が日本書紀の持統天皇8年の条に記載されています。格式の高い神社も多く、小津神社(杉江町小津、本殿:国指定重要文化財)や 己爾乃神社(洲本町)、馬路石邊神社(吉身)、下新川神社(幸津川町)は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されています。江戸時代に入り中山道が開削されると寛永年間(1624〜1645年)に守山宿が整備され、特に京都を朝方出立すると守山宿で丁度夕方になった為、「京発ち守山泊まり」と言われ朝鮮通信使はじめ、多くの旅人や商人達が守山宿を宿所として利用しました。江戸時代後期には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠30軒、家屋415軒の規模となっています。
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