大津城概要: 大津城は天正14年(1586)、豊臣秀吉の命で浅野長政が築いたのが始まりとされます。この地は琵琶湖の湖運と北陸や美濃、尾張からの街道の結束点に近く、京都への入口に当る交通の要衝として重要視された場所で、増田長盛、新庄直頼、京極高次が城主となっています。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの際、当初西軍側で行動していた京極高次が突如として大津城に城兵3000で立て籠もり反旗を翻らすと、西軍側は立花宗茂を主力とする1万5千の兵で大津城を取り囲みました。大津城攻防戦は7日間続き、立花宗茂が2ノ丸を落とした時点で講和が成立し京極高次は頭を丸め高野山に落ち延びました。
しかし、戦意の高かった西軍1万5千の兵は、本戦である関ヶ原の戦いに間に合わず、結果として東軍の勝利を決定づけることとなり京極高次は若狭8万2千石に加増されました。その後、大津城は廃城となり用材は新たに築城された彦根城や膳所城に転用されました。現在は目立った遺構な見られず、石碑だけが建てられています。
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