長等神社(大津市)概要: 長等神社は滋賀県大津市三井寺町に鎮座している神社です。長等神社の創建は天智天皇6年(667)、天智天皇が大津に都を遷都した際、須佐之男大神の分霊を長等山岩倉に勧請したのが始まりとされ、天智天皇8年(669)5月5日に宇治の山科より還行した際に弓と矢が奉納されました(これにより、皇子大友与多王が5月5日を祭礼日と定めました)。その後、圓城寺(三井寺)を開いた智証大師円珍が日吉大社の分霊を勧請し圓城寺(三井寺)の鎮守社としました。天喜2年(1054)、明尊大僧正により現在地に遷座すると参拝し易かった事もあり信仰も広がり、永保元年(1081)には白河天皇が勅使を遣わし国家安寧の祈願を行うと、天皇の祈願所としてさらに信仰を広めました。
その後、長等神社は度々争乱に巻き込まれ社殿も焼失、再建を繰り返し、鎌倉時代に入ると幕府が庇護した事で宇津宮蓮生に命じて社殿を再建しましたが、延元元年(1336)に応仁の乱の兵火により再び多くの社殿が焼失しています。これを受け、興国元年(1340)には室町幕府初代将軍足利尊氏によって12の社殿を再建すると、日吉大社に対比される程に社運も隆盛し、湖南の大社とも言われました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され圓城寺(三井寺)から分離し、明治9年(1876)に村社、明治16年に(1883)郷社、明治34年(1901)に県社に列し、明治16年(1883)に社号を新宮社から長等神社に改めています。
現在の長等神社楼門(随身門)は明治38年(1905)に建立されたもので、三間一戸、入母屋、檜皮葺、八脚楼門、明治時代に建てられた大津市を代表する楼門建築として貴重な事から昭和47年(1972)に大津市指定文化財に指定されています。現在の長等神社社殿は寛文4年(1664)と慶安2年(1649)に増改築されたもので拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、妻入、間口2間3尺、奥行3間、外壁柱間建具嵌め込み。本殿は入母屋、檜皮葺、平入、桁行5間、梁間2間、正面3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り。中門は切妻、檜皮葺き、一間一戸、薬医門。祭神:建速須佐之男大神、大山咋大神。配神:市杵島姫大神、宇佐若宮下照姫大神、八幡大神。
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