旧伴家住宅(近江八幡市)概要: 伴家は古代の氏族である大伴氏が祖とも云われ、平安時代初期に淳和天皇の諱を避けて伴氏に改称しています。その後裔の一部が安土城の城下で店を構え、八幡城が築かれ城下町が町割りされると当地に移り住み、名を伴庄右衛門に改め、屋号「扇屋」を掲げました。江戸時代初期から畳表や蚊帳、麻布などを扱う八幡商人として財を築いた家柄で寛永年間(1624〜1645年)には江戸日本橋に出店し、5代目伴庄右衛門蒿蹊(国学者としても知られ本居宣長、上田秋成、与謝蕪村等とも親交がありました。)は大坂淡路に出店するなど繁栄しました。
現在の旧伴家住宅の建物は文政2年(1819)に発生した「文政近江地震」で邸宅が大破した事を受け、7代目伴庄右衛門能尹が文政10年(1827)から天保11年(1840)の13年間にかけて建てられたもので、木造2階建(1部3階建)、切妻(1部寄棟)、桟瓦葺、平入、腰壁は押縁下見板張、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え。地震直後に再建された建物である事から三階には「地震の間」と呼ばれる、通常では考えられない位置に柱や梁が配され、独特な耐震構造をしています。
明治20年(1887)頃、伴家がこの地を離れると建物は町に譲渡され小学校や役場、女学校、近江兄弟社図書館などに利用されました。近年まで近江八幡市立図書館となっていましたが平成9年(1997)の移転に伴い再整備され現在は市立資料館として一般公開されています。旧伴庄右衛門家本家は江戸時代後期の町屋建築の遺構として貴重な事から近江八幡市指定文化財に指定されています。
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