近江八幡市: 小田神社

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概要・歴史・観光・見所
小田神社(近江八幡市)概要: 小田神社は滋賀県近江八幡市小田町に鎮座している神社です。伝承によると垂仁天皇の御代(紀元前29〜70年)、倭姫尊が伊勢神宮へ奉納する稲を栽培する土地を探している際、この地を霊地と悟り、村人に農業を教え開墾したのが始まりとされ、伊勢神宮の神田から御田(後に小田)と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、倭姫尊の遺徳を偲び祠が設けられ、欽明天皇の御代(539〜571年)に改めて大山咋神の分霊が勧請され養老2年(718)に社殿が建立されたとされます。別当寺院だった仁保寺は欽明天皇12年(640)に創建し往時は境内に7つの僧坊が建つなど寺運が隆盛し長命寺の再興や奥島神社の神宮寺創建にも関わったとされます。

中世に入ると周辺が上加茂神社の荘園となり大きな影響を受けたとも云われますが詳細は不詳、何れにしても仁保庄の産土神として信仰され、歴代の領主や為政者から崇敬庇護されました。文治2年(1186)には源頼朝が境内を整備し、文永年間(1264〜1274年)に火災で焼失しますが足利尊氏によって再興、天正4年(1576)に織田信長が安土城を築城する際に小田神社に参拝に訪れたとされ社領100石が寄進されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上は仏教色が一掃され大正9年(1920)に郷社に列しています。祭神:大山咋神(山末之大主神)。配祀神:罔象女神、若雷神、八上比賣命、大国主命、須佐之男命。

現在の小田神社楼門は室町時代前期(南北朝時代)に建てられたと推定される建物で、入母屋、桧皮葺、三間一戸、八脚楼門、工法や意匠など当時の楼門建築の遺構として大変貴重なことから国指定重要文化財に指定されています(伝承では楼門があまりにも素晴かった事から織田信長が安土城に移築しようと計画したところ、住民達があえて脚部を切り落とした事で見栄えが悪くなり、信長も断念したとも云われています)。小田神社拝殿は入母屋、銅板葺、妻入、間口4間、奥行4間。幣殿は入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、桁行3間、梁間2間。本殿は三間社流造、銅板葺、桁行3間、梁間2間。又、小田神社は古くから仁保寺と神仏習合の形態を保持していて仁保寺の遺構である大日堂には大日如来坐像(像高92.4cm、一木造、藤原時代初期に製作)が安置され国指定重要文化財に指定されています。

小田神社:写真

小田神社
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