近江八幡市: 日牟礼八幡宮

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概要・歴史・観光・見所
日牟礼八幡宮(近江八幡市)概要: 日牟礼八幡宮は滋賀県近江八幡市宮内町に鎮座している神社です。日牟礼八幡宮の創建は成務天皇元年(131)、成務天皇が高穴穂の宮に即位した際、勅命により武内宿禰が地主神である大嶋大神の分霊を八幡山(標高:283.8m)の山頂付近に勧請したのが始まりと伝えられています。中央にも知られた存在で應神天皇6年(275)には應神天皇が奥津島神社に参拝に還幸した際に御座所が設けられ、その後、御座所跡に日輪の形が2つ出現した事から「日群之社八幡宮」と呼ばれるようになりました(寛平元年:889年にも奥津島神社が大きく振動すると琵琶湖に水没し、社殿から火の玉が出現し当社に飛び込んだとの伝承が残されています)。持統天皇5年(691)には藤原不比等が参拝に訪れ「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」の歌を残し、この歌に因み比牟礼之社に社号を改めたとされます。正暦2年(991)、一條天皇の勅願により山頂に宇佐八幡宮(福岡県宇佐市)の分霊を勧請し、寛弘2年(1005)には麓に遥拝所を設けた為、山頂を上社、遥拝所を下社と呼ぶようになりました。

日牟礼八幡宮はその後も朝廷から崇敬され後光厳天皇や後圓融天皇など何度も国家安寧の祈願が行われ、弘安4年(1281)蒙古襲来の際にも祈願が行われ近江守護職だった六角氏なども篤く庇護しました。天正18年(1590)、豊臣秀次が八幡城を築く際、上社が下社に合祀され現在のような形式になりました。慶長5年(1600)、徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利した後に参拝に訪れ社領50石を寄進、寛永20年(1644)には3代将軍徳川家光により朱印状を賜わっています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治9年(1876)に郷社、大正5年(1916)に県社に列し、大正6年(1917)に神饌幣帛料供進に指定、昭和41年(1966)に神社本庁別表神社に列し社号を日牟礼八幡宮に改めています。祭神:誉田別尊、息長足姫尊、比売神。

日牟礼八幡宮社宝である安南渡海船額(近江商人、安南に渡り大きな富を得た:西村太郎右衛門寄進)、木造誉田別尊坐像、木造比売神坐像、木造息長足姫尊坐像、木造男神坐像が国指定重要文化財、八幡神社鳥居(附:造立関係文書四通一巻)が滋賀県指定文化財、木造男神像(7躯)、木造女神像(9躯)が近江八幡市指定文化財にそれぞれ指定されています。祭礼である「八幡まつり」、「左義長まつり」は国選択無形民俗文化財、滋賀県指定無形民俗文化財に指定されています。

日牟礼八幡宮神門(神社山門:随身門)は入母屋、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、外壁は下層部が真壁造り白漆喰仕上げ、上層部が真壁造り板張り、下層部左右正面には随身像、背面木製狛犬安置、上層部には高欄が廻り「八幡宮」の社号額が掲げられています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、妻入、桁行3間3尺、奥行3間3尺、外壁は柱のみの吹き放し。本殿は三間社流造、銅板葺、桁行3間3尺、梁間3間、正面3間千鳥破風向拝付。

日牟礼八幡宮:写真

日牟礼八幡宮
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