近江八幡市: 西川甚五郎邸

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概要・歴史・観光・見所
西川甚五郎邸(近江八幡市)概要: 西川家は近江八幡を代表する豪商として知られています。西川家の祖である初代仁右衛門は天正14年(1586)に豊臣秀次が八幡城を築城した際の工事管理監督を行った人物とされ、そのまま当地に土着しました。翌年の天正15年(1587)には屋号「山形屋」を創建し蚊帳や畳表などを生業としました。文禄4年(1595)に豊臣秀吉に謀反の疑いを掛けられた豊臣秀次が高野山で自刃すると、八幡城は廃城、多くの家臣が離散した事で、城下町は消費地としての機能が失われ、翌慶長元年(1596)に仁右衛門は能登半島(石川県)まで行商を行い、帰りには能登半島の特産物を買い付けて当地で売り捌き活路を見出しました。

慶長8年(1603)頃から美濃国(岐阜県)にまで販路を広げ、元和元年(1615)には江戸日本橋に支店を出店するに至りました。2代甚五郎は特に萌黄蚊帳を創案したことで八幡蚊帳や近江蚊帳が飛躍的に発展し西川家の基礎を築いたとされます。3代目は「勘定目録帳」を取り入れる事で経理面の近代化を図り、さらに支店にも作成を義務付け本店で管理するという経営体制を確立しました。11代甚五郎は明治維新後に西洋の文化が流入した事で伝統的な八幡蚊帳などが衰微した家を再興し、西川産業として様々な事業の展開や改革を断行し「ふとんの西川」の祖になっています。現在でも広大の敷地に数多くの建物が建ち西川史料庫として利用されています。

西川甚五郎邸:写真

西川甚五郎邸
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