朽木陣屋(高島市)概要: 前身である朽木城の築城年は不詳ですが承久の乱(1221)後、当地の地頭となった近江守護佐々木氏の一族が朽木氏を名乗り居館としたのが始まりとされます。発掘調査では室町時代の遺物が発見されており、少なくとも室町時代には城郭が設けられていたと推定されています。室町時代に入ると、京都に近い事もあり将軍直属の軍隊である奉公衆を歴任し、将軍が京都を追われると保護する立場にありました。戦国時代に入ると織田信長に組するようになり永禄13年(1570)の朝倉・浅井の挟撃策により敗走した信長を助け無事京都まで送り届けています。本能寺の変後は豊臣秀吉に使え2万石の大名に取り立てられましたが、関が原の戦い後は本領は安堵されたものの9千5百95石に減封され交代寄合の旗本となりました。陣屋は朽木氏の居館跡に整備したものと推定され約220m四方の敷地内に御殿、侍所、剣術道場、馬場、侍部屋、倉庫などの設備があり周囲を土塁と水掘で囲いました。明治維新後に朽木領主の任が解かれると施設も取り壊され、現在は土塁や石垣、掘、井戸の一部が残され史跡公園となっています。朽木陣屋跡は昭和58年(1978)に滋賀県指定史跡に指定されています。
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