興聖寺(朽木宿)

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概要・歴史・観光・見所
興聖寺(高島市)概要: 高巌山興聖寺の創建は嘉禎3年(1237)、興聖寺当時の領主佐々木信綱(近江守護職佐々木定綱の4男、鎌倉幕府御家人)が道元禅師を招いて承久の乱で討死した一族の菩提を弔ったのが始まりとされます。仁治元年(1240)には境内が整備、寛元元年(1243)には本格的な寺院として開山し永平寺(福井県永平寺町)の直末寺となりました。歴代領主から庇護された事で寺運が隆盛し最盛期には36ヶ寺の末寺を擁し近江88ヶ寺の総禄所の格式を得ました。当初は上柏村指月谷にありましたが享保14年(1729)に現在地にあった秀隣寺(慶長11年:1606年、当時の領主朽木宣綱が、正室の菩提を弔う為に創建)の境内に移っています。この地は大檀那だった朽木家が享禄元年(1528)から3年間12代将軍足利義晴を迎えた居館跡でもあり(第13代将軍足利義輝も朽木氏を頼り当地に滞在しています)、興聖寺現在残されている庭園(足利庭園−蓬莱池泉式庭園−昭和10年:1935年に国指定名勝に指定)はその当時のもと推定されています。朽木家代々の菩提寺として庇護され文政11年(1828)に火災により堂宇が焼失すると当時の領主朽木大綱が安政4年(1857)に再建しています。寺宝である木造釈迦如来坐像は平安時代に製作されたと推定されるもので檜材、一木造、昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。関西花の寺二十五霊場14番。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

興聖寺・写真

興聖寺
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