柏原宿(中山道・宿場町)・町並み

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柏原宿(中山道・宿場町)
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【柏原宿】柏原宿中山道の宿場町です。古くからの交通の要所で、律令制度下の東山道が通り、壬申の乱の激戦地となりました。中世に入ると近江国守護職を担った佐々木氏の後継である佐々木京極氏が支配し、中山道より少し離れた場所には京極家の菩提寺徳源院が境内を構えています。徳源院は弘安9年(1286)に京極家初代当主京極氏信によって開かれた古寺で、境内には歴代京極家の墓碑(国指定史跡)や三重塔(滋賀県指定有形文化財)、徳源院庭園(滋賀県指定名勝)、徳源院道誉桜(米原市指定天然記念物)などがあります。

宿場町としては慶長年間(1596〜1625)頃に整備されたと見られ、京極家の被官箕浦氏の家臣が帰農し宿場町の開発や整備に尽力しています。江戸時代初期、幕府将軍家の宿所は柏原宿の有力者である西村勘介の邸宅を利用していましたが、元和9年(1623)宅地の一部を利用して柏原御茶屋御殿(間口42間、奥行38間)が設けられています(元禄2年:1689年に解体)。本陣は南部辰右衛門家が代々歴任し敷地面積約526坪、建坪138坪、明治時代初期には明治天皇の行在所にも利用されました。脇本陣は南部源右衛門家が代々歴任し敷地面積約228坪、建坪73坪の屋敷を構えていました。幕末の記録によると旅籠22軒、造り酒屋3軒、請負酒屋10軒、炭売り茶屋12軒など多種多様な職種の商家が存在し繁栄していた事が窺えます。現在は極端に古い町屋建築はありませんが良好な町並みが残され宿場町の雰囲気が感じられます。中でも「柏原宿歴史館」は大正6年(1917)に建てられたもので国登録有形文化財に登録されています。

【伊吹もぐさ】−「伊吹もぐさ」は柏原宿の名物とされ、往時は10軒前後も取り扱う商店があり賑っていたそうです。古くから中央にも聞こえた存在で、鎌倉時代初期に成立した百人一首51番には藤原実方朝臣が歌った「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 萌ゆる思ひを」が選定され、江戸時代の安藤広重の街道図にも描かれています。

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