大野神社(栗東市)概要: 大野神社は滋賀県栗東市荒張に鎮座している神社です。大野神社の創建は不詳ですが社伝によると天徳3年(959)に勧請されたのが始まりとされます。又、一説には嵯峨天皇(第52代天皇−在位:大同4年809〜823年)の勅願により願安和尚が狛坂寺(金勝寺別院)を開いた際、その鎮守社として勧請したのが始まりとされ、龍王山(標高:604.7m)山頂にある金勝寺の水源に鎮座する水神が狛坂神(天之水分神)でその後、麓である現在地に遷座し、さらに、恵比寿社、出雲社、八幡社が遷座勧請したとされます。さらに、三代実録に記載されている「元慶六年近江国授柏坂神従五位上」の柏坂神は狛坂神の誤写と考えられる事から大野神社の前身とされ元慶6年(882)には既に勧請され狛坂寺の守護神になったとも云われています。
寛平9年(897)に菅原道真が参拝した縁から天徳3年(959)に菅原道真の分霊が勧請されると主祭神が菅原道真となり、以前に祀られていた水神、恵比寿神、出雲神、八幡神は摂社となり社号も「天神社」や「狛坂天神」と呼ばれていたものが於野宮天満宮と称されるようになりました。その後は金勝荘の総社として歴代領主からも崇敬庇護され室町幕府第9代将軍足利義尚や近江守護佐々木氏などが社殿の造営を行っています。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により狛坂寺が廃寺、社号を「大野神社」に改めて明治9年(1876)に村社、昭和4年(1929)に郷社に列し、大正4年(1915)に神饌幣帛料供進社に指定されています。祭神:菅原道真。
大野神社楼門は鎌倉時代初期に造営されたと推定されるもので(下層部は寛政10年:1798年に大改修)、入母屋、檜皮葺、三間一戸、下層部:桁行5.37m、梁間2.75m、上層部:桁行5.07m、梁間2.57m、八脚楼門、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、滋賀県に現存する中では最古の楼門建築の遺構として大変貴重な事から、明治34年(1901)に国指定重要文化財に指定されています。大野神社の社宝である木造十一面観音菩薩立像は神仏習合時代の本地仏だった仏像で平安時代作、檜材、一木造、像高99.4cm、貴重な事から昭和44年(1969)に栗東市指定文化財に指定されています(附:脇仏−混沙門天立像 (室町時代作)・不動明王立像 (江戸時代作))。又、室町時代の大永6年(1526)に制作され鰐口が貴重な事から平成19年(2007)に栗東市指定文化財に指定されています。
大永6年(1526)に奉納された鰐口(作:兵衛)が貴重な事から平成19年(2007)に栗東市指定文化財に指定されています。本殿は三間社流造、檜皮葺。拝殿は木造平屋建て、入母屋、檜皮葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面1間向拝付き、外壁は柱のみの吹き放し。中門は切妻、檜皮葺、一間一戸。三社殿(出雲社・祭神:出雲大神、恵比寿大神、八幡大神)は室町時代に建てられたもので一間社流造、見世棚造、桁行2.29m、梁間1.83m、檜皮葺、当時の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和43年(1968)に栗東市指定文化財に指定されています。
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