太尾山城(米原宿)概要: 太尾山城の築城年は不詳ですが近江国守護職を歴任した佐々木氏が築いたのが始まりと考えられています。米原は北陸道と中山道が分岐する交通の要衝で軍事的も重要拠点だったことから度々太尾山城を巡る攻防戦が度々起っています。文明3年(1471)には斎藤妙椿が侵攻し、天文21年(1543)には京極氏家臣今井氏が六角氏を攻め、永禄4年(1561)には浅井長政が急襲、元亀3年(1573)には織田信長が佐和山城と同時に太尾山城を攻め落城させています。太尾山城は標高254mの山頂付近に築かれた北城と標高240mの山頂付近に築かれた南城があり別城一郭とも言われ現在も郭の形状や土塁、空堀などの遺構がよく残り平成13年(2001)に米原市指定史跡に指定されています。
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