【 北国街道 】−北国街道と北陸道の定義については諸説あるようですが、当サイトでは、北国街道を中山道追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町追分)から直江津湊(新潟県上越市直江津:厳密には直江津湊手前の分岐点)と中山道鳥居本宿(滋賀県彦根市鳥居本町)から今庄宿(福井県南条郡南越前町今庄)まで、一方、北陸道を直江津湊(厳密には直江津湊手前の分岐点)から今庄宿までとします。
【 長浜宿 】−当地域の中心地は中世までは小谷城の城下町でしたが天正元年(1573)に羽柴秀吉が小谷城を攻略し城主である浅井氏が滅ぶと、新たに領主になった秀吉は長浜に長浜城を築き、小谷城の城下町から寺院や商人を遷し中心地として整備しました。江戸時代に入ると長浜藩が立藩し藩都として整備されるものの元和元年(1615)に藩主である内藤信正の移封に共に廃藩となっています。その後は北国街道の宿場町、琵琶湖舟運の港町として町場が維持されました。現在でも街道沿いには伝統的な町屋建築が点在し当時の繁栄が感じられます。
【 安藤家屋敷 】−安藤家屋敷は滋賀県長浜市元浜町に位置する町屋建築で明治38年(1905)に建てられました。安藤家は藤原氏一族の後裔とされ、室町時代に当地に移り住んだと伝えられています。羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が領主になると協力した事で長浜町十人衆の筆頭である三年寄に抜擢され江戸時代を通して大きな影響力がありました。明治時代には呉服問屋としてさらなる発展を遂げ取引先である福島県に中村合名会社呉服店を創業しています。又、北大路魯山人縁の地でもあり、縁の品々が伝えられています。
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