【 北国街道 】−北国街道と北陸道の定義については諸説あるようですが、当サイトでは、北国街道を中山道追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町追分)から直江津湊(新潟県上越市直江津:厳密には直江津湊手前の分岐点)と中山道鳥居本宿(滋賀県彦根市鳥居本町)から今庄宿(福井県南条郡南越前町今庄)まで、一方、北陸道を直江津湊(厳密には直江津湊手前の分岐点)から今庄宿までとします。
【 木之本宿 】−木之本の地は天武天皇の時代(7世紀後半)に創建された、木之本地蔵院浄信寺の門前町として発展した町です。浄信寺は日本三大地蔵の一つに数えられるなど信仰を広げ弘法大師空海や菅原道真が参拝に訪れています。室町時代に入ると毎年2回牛馬市が開かれるようになり山内一豊の妻が夫の出世を願い名馬を買い求めたと伝えられています。江戸時代に入ると北国街道の宿場町である木之本宿として整備され、特に中山道の関ヶ原宿とを結ぶ北国脇往還の起点となった為、交通の要衝として重要視されました。
【 冨田家住宅 】−冨田家は近江国守護職の京極家に仕える武家でしたが、戦国時代に京極家が没落すると当地に帰農しました。その後は醸造業を生業としながら庄屋などの村役人を歴任しました。明治維新後は当時の当主冨田忠利は、学校の開設や伊香相救社の運営、融通会社(後の江北銀行)の創設などに尽力し、養子となった冨田八郎はさらに事業を発展させ政治家としても活躍しました。冨田家住宅主屋は江戸時代中期の延享元年(1744)の建築で、当時の町屋建築の遺構として貴重な存在です。
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