【 概 要 】−比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)が境内を構える比叡山は古代から信仰の山として知られ、山頂付近には地主神とされる大山咋神が祀られ、後に天台宗の守護神となる日吉大社(山王信仰の本社)の前身となっています。延暦4年(785)、後に日本の天台宗の開祖となる最澄が比叡山の一角に一宇を設けて、ここを拠点に仏教の真髄を得る為に、修行と探求を続け延暦7年(788)に三輪山(奈良県桜井市)の大神神社から祭神である大物主神を勧請したのを機会に寺院として整備され、一乗止観院(比叡山寺)と呼ばれるようになります。都が京都に遷都されると、比叡山が御所も北東にあたる為、京都の鬼門鎮護として天皇や朝廷から篤く帰依されるようになり、延暦25年(806)に正式に日本の天台宗が開かれ、弘仁12年(822)に大乗戒壇が設立、弘仁14年(824)には寺号「延暦寺」が許されています。その後は日本仏教界の中心的な存在として発展し、他派の開祖となる良源、源信、良忍、法然、栄西、慈円,道元、親鸞、日蓮などの名僧を次々に輩出し大きな影響力を持つようになります。又、内部抗争や、他宗派との抗争、荘園の維持管理等から平安時代後期以降は武装化し戦力的には大名家に匹敵するようになり、支配地は為政者や領主の及ばない独自な体制が築かれました。戦国時代には織田信長(安土城の城主)による比叡山焼き討ちにより大きな被害を受けましたが、本能寺の変で信長が倒れると、その後に為政者となった豊臣秀吉、徳川家康は再興に尽力し随時堂宇の再建が成されました。特に徳川政権初期の重鎮である天海大僧正は天台宗の高僧だった為に、比叡山には篤い保護が成され、再び寺運も隆盛しています。
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