滋賀県の日本三大・概要
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滋賀県には日本三大○○が幾つか存在しますが、今回は日本三大湖城の1つに数えられている膳所城と日本三大疏水の1つに数えられている琵琶湖疏水、日本三大霊場と日本三大霊山の1つに数えられている比叡山を紹介します。
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膳所城概要: 大津の地は京都を抑える軍事的な要衝で関ヶ原の戦後、大破した大津城の去勢が重要視されました。西軍により落城した大津城は防衛的な欠陥があるとして新城地が求められ、幾つかの候補地から膳所が決定しました。当初は琵琶湖に大きく張り出した本丸を配し、本丸には4方に琵琶湖の水を引き込んだ広大な堀に囲まれた2之丸を通過しなければならず、独立性の富んだ湖城の特徴が顕著にありました。寛文2年の大地震で膳所城(大津市)が大破すると本丸と2之丸を合体させ、今まで3之丸だった一部に琵琶湖の水を引き込み新たな2之丸としました。膳所城は幕府にとって京都を抑える重要性の高い城だった事から歴代城主は譜代大名が配され、4層4階の天守閣をはじめ数多くの櫓が設け、里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われる程でした。何時しか琵琶湖の膳所城は諏訪湖の高島城、宍道湖の松江城と共に日本三大湖城の一つに数えられましたが明治時代に廃城となり多くの建物は取り壊し、又は払い下げ(膳所神社や篠津神社、鞭崎神社など周辺の社寺の山門として城門が点在しています。)となり往時の姿を見る事が出来ません。
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膳所城・写真
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琵琶湖疏水概要: 明治時代に入ると京都の水不足が顕著となり琵琶湖から湖水を引き込む計画が発案されました。当時の京都は政治的も重要だった為、国家的な事業として行われ伊藤博文など数多くの著名な政治家が関わりました。工事は明治18年から行われ明治45年に完成、これにより京都市民の飲料水が確保されただけでなく、農業用水や発電など多くに利用されました。琵琶湖疏水(滋賀県)は事業内容や歴史的意義などから那須疏水(栃木県)、 安積疏水(福島県)と共に日本三大疏水に数えられています。
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琵琶湖疏水・写真
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比叡山概要: 比叡山(大津市)は古くから京都から北東方向にあたる為、鬼門鎮護の霊山として信仰の対象になっていました。和銅5年(712)に編纂された古事記には既にその存在が記され日枝山として大山咋神が鎮座しているとされました。延暦7年(788)に最澄が比叡山寺を開くと天台宗の修行道場として発展し弘仁14年(823)には延暦寺の勅号を賜りました。元々鎮座していた大山咋神は大物主神と共に天台宗延暦寺の守護神として日吉大社に祀られ、山王信仰や日枝信仰の総本社として確立しました。延暦寺も度重なる宗教戦争や織田信長の全山焼き討ちなどの憂いを乗り越え天台宗の総本山として江戸幕府から庇護され寺運も隆盛しました。日光山輪王寺(栃木県)、東叡山寛永寺(東京都)と共に天台宗門三大本山として幕府の創世記に大きな影響力を持った天台宗大僧正天海も比叡山の再興に尽力し江戸時代前期には寺観も整えられ威容を誇りました。根本中堂が国宝に指定されているのをはじめ、境内全域が国指定史跡、近年には世界遺産(文化遺産)にも登録され多くの参拝者が訪れています。
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比叡山・写真
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