円光寺(高島市)概要: 萬松山円光寺の創建は南北朝時代の延文3年(1358)、照室寂禅師が伊勢中山に開かれたのが始まりと伝えられています。後光厳天皇の勅願道場として寺運も隆盛し、朝廷からは荘園が与えられ、室町幕府も寺領を寄進しています。天文24年(1555)に当時の領主分部家の菩提寺となり元亀年間(1570〜1573年)に伊勢中山から分部光嘉が伊勢上野城(三重県津市河芸町)に移封になると上野城下に文持禅師を召還、円光寺の境内を移し寺領100石を寄進しています。元和5年(1619)、分部光信が大溝城2万石に移封になると円光寺も随行し現在地に移り、伊勢上野にも円光寺が残り紀州徳川家の祈願所として寺領24石が寄進され歴代分部家の位牌と墓碑、歴代紀州徳川家の位牌が残されています。現在も境内には分部家歴代の墓所(初代藩主分部光信と7代藩主光庸以外の12代の藩主の墓碑:五輪塔7基、一石五輪塔1基、墓標1基など ※ 光信は京都大徳寺、光庸は江戸種徳寺に葬られています。)が残り平成4年(1992)に滋賀県指定史跡に指定されています。高島郡西国三十三観音霊場第三十三番札所(札所本尊:十一面観音菩薩)。山号:萬松山。宗派:臨済宗東福寺派。本尊:釈迦如来。
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