大崎寺(高島市)概要: 立石山大崎寺は滋賀県高島市マキノ町海津に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。大崎寺の創建は大宝2年(702)、泰澄大師により開かれたのが始まりと伝えられています。当初は興福寺の直末寺として寺運が隆盛し最盛期には39坊を擁する大寺院として大きな影響力を持ちましたが鎌倉時代以降は衰退しました。天文5年(1536)に空翁上人により真言宗の寺院として中興され、天正年間(1573〜1592年)には豊臣秀吉が安土城攻防戦の戦死者の冥福を祈る為、安土城の残材を使用して本堂を造営しています。安土城の残材は特に天井材として利用したとされ、雨の日には血痕が浮き出る事から「安土の血天井」と呼ばれるようになりました。本堂が改築された際、天井板は取り外され阿弥陀堂が改築された際に天井板として再利用されています。
大崎寺本堂は江戸時代中期に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、本瓦葺き、平入、桁行3間、張間3間、正面3間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、内部には泰澄大師が自ら彫刻したと伝わる十一面千手観世音菩薩立像が本尊として安置されています。大崎寺阿弥陀堂は木造平屋建て、宝形造、桟瓦葺き、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造り板張り、内部には聖徳太子が自ら彫刻したと伝わる阿弥陀如来像が本尊として安置されています。近江西国三十三箇所第9番札所。びわ湖百八霊場第25番札所。湖西二十七名刹第25番。西近江七福神:毘沙門天。江州三十三観音霊場第15番札所。山号:立石山。宗派:真言宗智山派。本尊:十一面千手観世音菩薩。
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