水尾神社(高島市)概要: 水尾神社は滋賀県高島市拝戸に鎮座している神社です。水尾神社の創建は不詳ですが磐城別命が父親である神磐衝別命の菩提を三尾山に葬り社殿を設けて祀ったのが始まりと伝えられています。その後、速総別王(応神天皇の第十一皇子)がこの地の領主となり4世の孫である彦主人王が振姫(磐城別王の5世の孫)を后に向かえ水尾神社の拝殿で三つ子(天迹部王、男迹部王、太迹部王=継体天皇)を産みました。天迹部王が成人になると三重生大明神を勧請して社殿を造営し後に河北社と呼ばれるようになりました。
水尾神社は天平神護元年(765)に神戸13戸から奉祭されている記録があることから少なくともそれ以前から鎮座し、延暦3年(784)に従五位下、貞観5年(863)に従四位下に列し延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社水尾神社(二座)の記載があります。
格式の高く皇室とも繋がりが深かった為、朝廷や天皇などから崇敬庇護され、広大な社領を擁していましたが時代が下がるにつれ次第に衰微しました。元亀2年(1571)、織田信長の高島郡侵攻の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失しています。江戸時代に入ると幕府から庇護され8代将軍徳川吉宗は神輿1基を奉納し、9代将軍徳川家重は社殿を再建しています。
|