在原集落(高島市)概要: 在原集落は平安時代の歌人で六歌仙や三十六歌仙で名前を連ねる在原業平が晩年過ごした場所と伝えられ、集落の奥地には業平のものと伝わる宝篋印塔が建立され、地名も業平の姓に「在原」に因ものと伝えられています。ただし、一般的には業平は京都西京区大原野小塩町に境内を構える十輪寺は晩年過し元慶4年(880)に没したとされ十輪寺の境内と近隣の大原野上羽町の2箇所に墓があります。
在原集落は個々の建物の規模は小さいものの入母屋、茅葺、平入の伝統的な農家建築が独特の景観を造りだし、特に入母屋屋根の破風部分に「前垂れかざり」という意匠が取り付けられており「伊香造り」とも言われています。往時は集落内にマキノ北小学校在原分校があるなど多くの人が住んでいたと思われますが、現在は過疎化が進み学校も廃校になり、茅葺屋根の建物も次第に少なく10棟程に減少しています。
主要幹線道路から大きく外れている事もあり、近代的な開発は行われず、ゆっくりとした時間が流れ、多くの茅葺屋根民家が点在していますが、撮影した時点では文化財指定や保存地区でもなく次第に消え行く運命のようです。茅葺屋根集落の難しい問題です。鎮守である日吉神社の例祭は毎年5月3日で祭事が行われているようです。
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