甲賀市: 矢川神社

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概要・歴史・観光・見所
矢川神社(甲賀市)概要: 矢川神社は滋賀県甲賀市甲南町森尻に鎮座している神社です。矢川神社の創建は不詳ですが伝承によると天平宝字6年(762)、甲賀杣・矢川津の守護神として勧請されたのが始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社の中で甲賀郡八座の筆頭の格式を得て天元2年(978)には勅額を賜っています。杣一ノ宮として周辺22ヶ村の精神的な支柱となり中世には度々自治組織の総会が行われ、南北朝時代には北朝に与した甲賀武士団の拠点となり建武4年(1337)に「杣野川宮」に集結後に南朝方の拠点となった「飯道寺城」を攻略しています。その後も杣三社大明神(日吉神社・矢川神社・新宮神社)に数えられるなど信仰の中心となり天保13年(1842)の近江天保一揆(甲賀騒動)でも農民達が当社で集結し基点となっています。

矢川神社は杣川水系を司る水神でもあった為、度々雨乞いの祈祷、祈願が行われ文明4年(1472)の祈願の際には周辺に恵みの雨を与えた事から、神意に感謝し楼門が寄進されました。天正年間(1573〜1592年)、兵火により多くの社殿が焼失しましたが江戸時代に入ると水口藩主の崇敬社となり再興されています。往時は神仏習合し別当寺院として矢川寺が祭祀を司り「矢川大明神」などと呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治9年(1876)に村社、明治14年(1881)に郷社に列しました。

現在の矢川神社神門(随身門)は文禄年間(1592〜1595年)に強風で上層部が大破し、上層部を取り除いた上に改修したもので、入母屋、茅葺、三間一戸、桁行3間、梁間2間、八脚単層門、室町時代中期の貴重な建物として昭和41年(1966)に滋賀県指定文化財に指定されています。現在の本殿は宝暦6年(1756)に法印周顕が願主、氏子七ヶ村の浄財により造営されたもので三間社流造、銅板葺、桁行3間、梁間3間。拝殿は昭和53年(1978)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、妻入、正面軒唐破風向拝、桁行3間、梁間3間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ柱間建具嵌め込み。祭神:大己貴命。配神:矢川枝姫命。

矢川神社の文化財
・ 楼門(現在は単層門)−文明4年−滋賀県指定文化財
・ 襖絵(棋書仙人図・山水図)−江戸時代後期−滋賀県指定文化財
・ 太鼓橋−寛文11年−甲賀市指定文化財

矢川神社:写真

矢川神社境内正面に設けられた大鳥居
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矢川神社神橋越に見える神門(随身門) 矢川神社参道石段から見上げた神門と石垣 矢川神社神門(随身門)から見た境内 矢川神社境内から見た拝殿正面
矢川神社本殿右斜め前方と石造狛犬 矢川神社境内に設けられた手水舎と手水鉢 矢川神社参道にある神橋(石造太鼓橋) 矢川神社境内に建立されている「甲賀郡中惣遺跡群」の石碑


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