佐波加刀神社(長浜市)概要: 佐波加刀神社は滋賀県長浜市木之本町川合に鎮座している神社です。佐波加刀神社の創建は不詳ですが百聞山の山頂付近に勧請されたのが始まりと伝えられています。天平年間(729〜749年)に遷座し、貞観5年(863)に従五位下を賜り、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載されています。
佐波加刀神社は歴代領主からも崇敬庇護され鎌倉時代初期の建久元年(1190)には良峰宗勝が本殿を再建、応永26年(1419)に火災で焼失したものの応永29年(1422)には京極近江守源高光が再興し、正長年間(1428〜1429年)に足利義教が社領を寄進しています。戦国時代の兵乱の兵火により大きな被害を受けますが、渡辺勘兵衛(後の石田三成家臣)の懇願により長浜城の城主となった羽柴秀吉が社殿の修復を行っています。江戸時代に入ると彦根藩の藩主井伊家に庇護され社殿の造営や例祭の参拝又は代参が行われています。
古くから神仏習合し、行基菩薩(奈良時代の高僧)が開いた東林寺と佐波加刀神社の神宮寺だった為に関係が深く、境内には薬師堂や鐘楼が建立され御神木で滋賀県指定名木に指定されている大スギも「権現のスギ」と呼ばれています。佐波加刀神社も「佐波加六所明神」、「佐波加刀七社明神」などと呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治9年(1876)に村社に列し、明治41年(1908)に神饌幣帛料供進社に指定されています。
祭神は日子坐王、大俣王、小俣王、志夫美宿祢王、沙本毘古王、袁邪本王、佐波遲比賣王、室毘古王の8神で8体の木造神像は鎌倉時代に制作された大変貴重なもので明治34年(1901)に国指定重要文化財に指定されています。現在の佐波加刀神社社殿は嘉永3年(1850)に再建されたもので、本殿は一間社流造、檜皮葺き。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造白漆喰仕上、腰壁は板張り。中門(神門)は向唐門、一間一戸、檜皮葺き。薬師堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。
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